窗边的小豆豆第六章
トットちゃんが、首くびからヒモで下さげた定期ていきをバタバタさせて学校がっこうに着つくと、泰明やすあきちゃんは、夏休なつやすみで誰だれもいない校庭こうていの、花壇かだんのそばに立たっていた。泰明やすあきちゃんは、トットちゃんより、一歳さい、年上としうえだったけど、いつも、ずーっと大おおきい子このように話はなした。 泰明やすあきちゃんは、トットちゃんを見みつけると、足あしを引ひきずりながら、手てを前まえのほうに出だすような恰好かっこうで、トットちゃんのほうに走はしって来きた。トットちゃんは、誰だれにも秘密ひみつの冒険ぼうけんをするのだ、と思おもうと、もう嬉うれしくなって、泰明やすあきちゃんの顔かおを見みて、 「ヒヒヒヒヒ」 と笑わらった。泰明やすあきちゃんも、笑わらった。それからトットちゃんは、自分じぶんの木きのところに、泰明やすあきちゃんを連つれて行いくと、ゆうべから考かんがえていたように、小こ使づかいの小父さんの物置ものおきに走はしっていって、立たてかける梯子はしごを、ズルズルひっぱって来きて、それを、木きの二股あたりに立たてかけると、どんどん登のぼって、上うえで、それを押おさえて、 「いいわよ、登のぼってみて?」 と下したを向むいて叫さけんだ。
小豆豆急匆匆地赶路,用毛线挂到脖子上的月票吧嗒吧嗒直响,当她来到学校时,因为正值午休,泰明早已站在一个人影也没有的校园花坛旁边了。泰明同学虽说只比小豆豆大一岁,说起话来却总好象是个大得多的孩子。
泰明一看见小豆豆,立即拖着一条腿,张开双臂朝小豆豆这边跑来。
小豆豆想到这是一次对谁都保密的冒险行动,马上高兴了,望着泰明同学的脸“嘻嘻嘻”地笑开了。
泰明也咧开嘴笑了。接着小豆豆便把泰明带到自己那棵树下,立即按昨天晚上想好的计划,首先跑到勤杂工叔叔的库房去,拖来一只能竖起来的梯子,然后把它竖靠在树杈之间,迅速地蹭蹭爬了上去。小豆豆在上面按住梯子,冲下面喊到:
“好啦!你爬一下吧?”
でも泰明やすあきちゃんは、手てや足あしの力ちからがなかったから、とても一人ひとりでは、一段いちだん目めも登のぼれそうになかった。そこで、トットちゃんは、物凄ものすごい早はやさで、後うしろ向むきになって梯子はしごを降おりると、今度こんどは、泰明やすあきちゃんのお尻しりを、後うしろから押おして、上うえに乗のせようとした。ところが、トットちゃんは、小ちいさくて、やせている子こだったから、泰明やすあきちゃんのお尻しりを押おさえるだけが精せいいっぱいで、グラグラ動うごく梯子はしごを押おさえる力ちからは、とてもなかった。泰明やすあきちゃんは、梯子はしごにかけた足あしを降おろすと、だまって、下したを向むいて、梯子はしごのところに立たっていた、トットちゃんは、思おもっていたより、難むずかしいことだったことに、初はじめて気きがついた。 (どうしよう……) でも、どんなことをしても、泰明やすあきちゃんも楽たのしみにしている、この自分じぶんの木きに、登のぼらせたかった。トットちゃんは、悲かなしそうにしている泰明やすあきちゃんの顔かおの前まえにまわると、頬ほおっぺたを膨ふくらませた面白おもしろい顔かおをしてから、元気げんきな声こえでいった。 「待まってって?いい考かんがえがあるんだ!!」
泰明手脚都使不上劲儿,靠一个人的力气根本连一蹬也爬不上去。于是,小豆豆又以惊人的速度面向泰明从梯子上下来,这次她想从后面推着屁股让泰明往上爬。然而小豆豆又小又瘦,只顶住泰明的屁股就已经用上了全身力气,再要按住那摇摇晃晃的梯子,她是一点余力也没有了。泰明把蹬在梯子上的腿挪下来,垂着头默默的站在梯子旁边。小豆豆这才意识到远比自己预想的要难得多。
“怎么办好呢……?”
小豆豆心里的愿望仍然很强烈,无论如何也得让泰明同学爬上自己这棵他也引以为乐的大树。小豆豆绕到十分难过的泰明面前,把脸蛋鼓得圆圆的,作出一副逗人的表情,充满信心地说:
“别急,啊?我有好办法了!”
それから、次々つぎつぎと引ひっ張ぱり出だしてみた。そして、とうとう、脚立きゃたつを発見はっけんした。 (これなら、グラグラしないから、押おさえなくても大丈夫だいじょうぶ) それから、トットちゃんは、その脚立きゃたつを、引ひきずって来きた。それまで、「こんなに自分じぶんが力持ちからもちって知しらなかった」と思おもうほどの凄すごい力ちからだった。脚立きゃたつを立たててみると、ほとんど、木きの二股ふたまたのあたりまで、とどいた。それから、トットちゃんは、泰明やすあきちゃんのお姉ねえさんみたいな声こえでいった。 「いい?こわくないのよ。もう、グラグラしないんだから」 泰明やすあきちゃんは、とてもビクビクした目めで脚立きゃたつを見みた。それから、汗あせびっしょりのトットちゃんを見みた。泰明やすあきちゃんも、汗あせビッショリだった。それから、泰明やすあきちゃんは、木きを見上みあげた。そして、心こころを決きめたように、一段いちだん目めに足あしをかけた。
说完,小豆豆又跑到库房里去,把里面的各种物件一样一样地翻了出来,心里指望能找出一件“有用的好东西”。而且终于发现了一架双面梯子。
“这东西稳当,不用扶也很保险。”
于是小豆豆便把那个梯子拖了过来。简直使劲了浑身力气,连她自己都没想到“自己竟有这么大的劲”!把那梯子的两边竖起来一看,差不多就要顶到那个树杈了。然后小豆豆以大姐姐般的口气对泰明说:
“怎么样?没什么可怕的,一点也不晃呢!”
泰明同学十分胆怯地打量着这架双面梯子,接着又看了看汗流浃背的小豆豆。泰明自己也出了一身汗。他又抬起头朝树上看了看,最后终于下定了决心,把脚蹬上第一蹬。
それから、脚立きゃたつの一番いちばん上うえまで、泰明やすあきちゃんが登のぼるのに、どれくらいの時間じかんがかかったか、二人ふたりにもわからなかった。夏なつの日射ひざしの照てりつける中なかで、二人ふたりとも、何なにも考かんがえていなかった。とにかく、泰明やすあきちゃんが、脚立きゃたつの上うえまで登のぼれればいい、それだけだった。トットちゃんは、泰明やすあきちゃんの足あしの下したにもぐっては、足あしを持もち上あげ、頭あたまで泰明やすあきちゃんのお尻しりを支ささえた。泰明やすあきちゃんも、力ちからの入いれる限かぎり頑張がんばって、とうとう、てっぺんまで、よじ登のぼった。 「ばんざい!」 ところが、それから先さきが絶望ぜつぼう的てきだった。二股ふたまたに飛とび移うつったトットちゃんが、どんなに引ひっ張ぱっても、脚立きゃたつの泰明やすあきちゃんは、木きの上うえに移うつれそうもなかった。脚立きゃたつの上うえにつかまりながら、泰明やすあきちゃんは、トットちゃんを見みた。突然とつぜん、トットちゃんは、泣なきたくなった。 「こんなはずじゃなかった。私わたしの木きに泰明やすあきちゃんを招待しょうたいし手て、いろんなものを見みせてあげたいと思おもったのに」 でも、トットちゃんは、泣なかなかった。もし、トットちゃんが泣ないたら、泰明やすあきちゃんも、きっと泣ないちゃう、と思おもったからだった。 トットちゃんは、泰明やすあきちゃんの、小児麻痺しょうにまひで指ゆびがくっついたままの手てを取とった。トットちゃんの手てより、ずーっと指ゆびが長ながくて、大おおきい手てだった。トットちゃんは、その手てを、しばらく握にぎっていた。そして、それから、いった。 「寝ねる恰好かっこうになってみて?ひっぱってみる」
接下来,一直到泰明同学登上这四脚梯子的最上面为止,究竟用了多少时间,他们俩也不知道。在夏日阳光的暴晒下,二人脑海里别的什么念头也没有了。一心只想着泰明同学能爬到梯子顶上就是胜利。小豆豆钻到泰明的胯下,双手抱住他的腿,用头顶着泰明的屁股帮他往上爬。泰明也使出浑身力气拼命往上攀,最后终于登上了梯子的最高处。
“万岁!”
然而,下一步就束手无策了。跳到树杈上的小豆豆无论怎么拉,梯子上的泰明也没法跨到树上去。泰明紧紧抓住梯子的最上端,两只眼只管瞧着小豆豆。小豆豆一下子想哭出声来了。“这怎么能成呢?我本来是想把泰明同学请到自己这棵树上来,让他好好往各处瞧瞧的……”
不过,小豆豆的眼泪并没有流出来。她想到,如果自己流泪,泰明同学肯定也会泣不成声的。
小豆豆抓住了泰明因患小儿麻痹症而使指头粘连在一起的那只手。这手比小豆豆的大得多,手指也特别长。小豆豆把这只手握了一会儿,然后才说:
“你就象躺下睡觉似的,试试这种姿势好不好?我来用力拉你。”
このとき、脚立きゃたつの上うえに腹はらばいになった泰明やすあきちゃんを、二股ふたまたの上うえに立たち上あがって、引ひっ張ぱり始はじめたトットちゃんを,もし、大人おとなが見みたら、きっと悲鳴ひめいをあげたに違ちがいない。それくらい、二人ふたりは、不安定ふあんていな恰好かっこうになっていた。 でも、泰明やすあきちゃんは、もう、トットちゃんを信頼しんらいしていた。そして、トットちゃんは、自分じぶんの全ぜん生命せいめいを、このとき、かけていた。小ちいさい手てに、泰明やすあきちゃんの手てを、しっかりとつかんで、ありったけの力ちからで、泰明やすあきちゃんを、引ひっ張ぱった。 入道にゅうどう曇くもりが、時々ときどき、強つよい日ひざしを、さえぎってくれた。 そして、ついに、二人ふたりは、向むかい合あうことが出来できたのだった。トットちゃんは、汗あせで、ビチャビチャの横よこわけの髪かみの毛けを、手てでなでつけながら、お辞儀じぎをしていった。 「いらっしゃいませ」 泰明やすあきちゃんは、木きに、よりかかった形かたちで、少すこし恥はずかしそうに笑わらいながら、答こたえた。 「お邪魔じゃまします。」 泰明やすあきちゃんにとっては、初はじめて見みる景色けしきだった。そして、「木きに登のぼるって、こういうのか、って、わかった」って、うれしそうにいった。
于是,泰明同学就脸朝下趴到四脚梯子最上面的宽木板上,小豆豆直起身站到树杈上,开始用力地往树上拉。这个时候,若是有哪个大人看到了,肯定会惊叫起来的。他们俩的动作实在太危险了。
不过,泰明同学已经一切都听凭小豆豆安排了。而小豆豆这时也早把生命置之度外了。她用自己的小手紧紧抓住泰明的手,使尽全神力气拼命往树上拉。
天空中的云朵也很帮忙,它不时地替这两位小朋友遮住灼热的阳光。
二人终于在树上相会了。小豆豆用手拢着被汗水濡湿的披散开的头发,向泰明鞠了个躬说:
“欢迎你来!”
泰明靠在树上,有些害羞地笑着答道:
“打搅你了。”
对泰明来说,眼前的景色还是有生以来第一次见到的。他高兴地说:
“原来爬树就是这么回事呀!这下我可明白了!”
それから、二人ふたりは、ずーっと木きの上うえで、いろんな話はなししをした。泰明やすあきちゃんは、熱ねつを込こめて、こんな話はなししもした。「アメリカにいる、お姉ねえさんから、聞きいたんだけど、アメリカに、テレビジョンていうのが出来できたんだって。それが日本にっぽんに来くれば、家いえにいて、国技こくぎ館かんの、お相撲すもうが見みられるんだって。箱はこみたいな形かたちだって」遠とおくに行いくのが大変たいへんな泰明やすあきちゃんにとって、家いえにいて、いろんなものが見みられることが、どんなに、嬉うれしいことか、それは、まだトットちゃんには、わからないことだった。だから、(箱はこの中なかから、お相撲すもうが出でるなんて、どういう事ことかな?お相撲すもうさんで、大おおきいのに、どうやって、家いえまで来きて、箱はこの中なかに入いれるのかな?)と考かんがえたけど、とっても、変かわってる話はなしだとは、思おもった。まだ、誰だれもテレビジョンなんて知しらない時代じだいのことだった。トットちゃんに、最初さいしょにテレビの話はなししを教おしえてくれたのは、この泰明やすあきちゃんだった。セミが、ほうぼうで鳴ないていた。二人ふたりとも、満足まんぞくしていた。
然后俩人就一直站在树上天南海北地聊了起来。泰明还兴致勃勃地讲了这么一件事:
“我听在美国的姐姐说,美国造出了一种叫电视机的东西。如果它来到日本,说是呆在家里就能看到国家体育馆的相扑比赛。姐姐说形状就象个箱子。”
对于很难出远门的泰明同学来说,呆在家里就能看到各种各样的东西,那该是多么高兴的事啊!而小豆豆对这种心情是无法理解的。因此她觉得泰明同学讲的很奇特,心里想道:
“从箱子里就能看到相扑,这怎么可能呢?比赛相扑的人个子很大,怎么会来到家里,又钻进箱子里去呢?”
当时那个时代,在日本还没有人见过电视机。小豆豆第一次听说电视,就是这位泰明同学告诉她的。
四下里到处都是知了的叫声。
二人都觉得心里有说不出的痛快。
そして、泰明やすあきちゃんにとっては、これが、最初さいしょで、最後さいごの、木き登のぼりになってしまったのだった。「こわくて、くさくて、おいしいもの、なあに?」。このナゾナゾは何なん度どやっても面白おもしろいので、トットちゃん達たちは、答こたえを知しってるのに、 「ねえ、“こわくて”っていう、あのナゾナゾ、出だして?」と、お互たがいに出だしあっては、よろこんだ。答こたえは、「鬼おにか、トイレで、おまんじゅう食たべているところ」というのだけれど。さて、今晩こんばんのトモエの“肝きも試ためし”は、こんなナゾナゾみたいな結果けっかになった。「こわくて、痒かゆくて、笑わらっちゃうもの、なあに?」っていう風ふうに。
而对于泰明同学来说,这次上树便成了他一生中空前绝后的一次纪念了。“又吓人、又难闻、又好吃的东西是什么?”尽管这个谜语已经猜了不知多少回了,却仍然觉得它好玩。因此,小豆豆和同学们已经知道谜底了,却还是喜欢彼此出这个谜语;
“哎,给你出出那个‘又吓人又难闻’的谜语吧?”
谜底是大家都知道的:
“鬼在厕所里吃包子。”
不过,话还得说回来,巴学园今晚进行的“试胆量”活动,最后差不多成了“猜谜语”游戏了。
也就是说,结果是这样的:
“又怕人、又发痒、又好笑的东西是什么?”
講堂こうどうにテントを張はって野宿のじゅくした、あの晩ばん、校長こうちょう先生せんせいが、「九品仏くほんぶつのお寺てらで、夜よる、“肝きも試ためし”やるけど、お化ばけになりたい子こ、手てをあげて!」といって、男おとこの子こが七なな人にんくらい、きそって、オバケになる、ということになっていた。今日きょうの夕方ゆうがた、みんなが学校がっこうに集あつまると、オバケになる子こは、思おもい思おもいに、自分じぶんで作つくったオバケの衣裳いしょうを用意よういして、「こわくするぞー!!」とかいって、九品仏くほんぶつのお寺てらのどこかに、隠かくれに行いった。後の三十さんじゅう人にんくらいの子こは、五ご人にんくらいずつのグループに分わかれて、少すこしずつ時とき間かんをずらして学校がっこうを出発しゅっぱつ、九品仏くほんぶつのお寺てらとお墓はかを回まわって、学校がっこうまで帰かえって来くる。つまり、「どれだけ、こわいのを我慢がまんできるかの、“肝きも試ためし”だけど、こわくなったら、途中とちゅうで帰かえって来きてちっともかまわない」と、校長こうちょう先生せんせいは説明せつめいした。
这还是在礼堂里搭帐篷进行野营的那天晚上的事。当时校长对大家说:
“要是晚上到九品佛寺院里进行‘试胆量’游戏,哪位同学愿意当鬼呀?请举手!”
于是立刻就有六、七个男孩争着要当鬼。今天傍晚,大家都在学校里集合以后,那些装鬼的小朋友带上按照各自想象亲手作成的鬼衣服到九品佛寺院里藏起来了。临走时口里还嚷着:
“你们等着挨吓吧!……”
剩下来的三十几名同学,便每五人分成一组,各组稍错开点时间,陆续从学校出发,到九品佛寺院和墓地里转一圈,然后再回到学校来。这样做的目的,借用校长的解释就是:
“这次‘试胆量’游戏,就是看你们胆大到什么程度。如果谁半路上害怕了,尽可以回来,没关系的。”
トットちゃんは、ママから懐中かいちゅう電灯でんとうを借かりて来きた。「なくさないでね」とママは言いった。男おとこの子この中なかには、「オバケをつかまえる」といって、蝶々ちょうちょうを採とるアミとか、「オバケを、しばってやる」といって、縄なわを持もってきた子こもいた。校長こうちょう先生せんせいが、説明せつめいしたり、ジャンケンでグループを決きめているうちに、かなり暗くらくなってきて、いよいよ、第だい一いちのグループは、「出発しゅっぱつしていい」ということになった。みんな興奮こうふんして、キイキイいいながら、校門こうもんを出でて行いった。そして、いよいよ、トットちゃん達たちのグループの番ばんになった。(九品仏くほんぶつのお寺てらに行いくまで、オバケ出でない、と先生せんせいはいったけど、絶対ぜったいに、途中とちゅうで出でないかな……)とビクビクしながら、やっと仁ひとし王様おうさまの見みえる、お寺てらの入いり口くちに、たどりついた。
小豆豆向妈妈借来了手电筒。妈妈嘱咐说:“可不要弄丢了呀!”男孩子里,有的说“要把鬼捉住”,因而带了捉蝴蝶网的;也有的说“要把鬼绑起来”,因而带了绳子来的。
校长一边说明情况一边让同学们用猜拳决定了每个小组的出发顺序。就在这会工夫里,天更黑了,校长终于向第一小组发出了命令:
“你们可以出发了!”
大家都很兴奋,叽叽喳喳地走出了校门。又过了一会儿,好不容易才轮到小豆豆她们那个小组。
同学们心里都在嘀咕:
“虽然老师说过。不到九品佛寺院里鬼是不会出来的,但那鬼可千万不要在半路上出现呀!……”
夜よるのお寺てらは、お月つき様さまが出でていても、暗くらいみたいで、いつもは広広ひろびろとして気持きもちのいい境内けいだいなのに、今日きょうは、どこからオバケが出でて来くるか判わからないと思おもうと、もう、トットちゃん達たちは、こわくてこわくて、どうしようもなかった。だから、ちょっと風かぜで木きが揺ゆれると、「キャーッ!!」。足あしで、グニャッとしたものを踏ふむと、「出でたア!」。しまいには、お互たがいに手てをつないでいる相手あいてさえも、(オバケじゃないか!?)と心配しんぱいになったくらいだった。トットちゃんは、もう、お墓はかまで行いかないことにした。オバケは、お墓はかで待まってるに決きまってるし、もう、充分じゅうぶんに、(キモダメシが、どんなのか)ってわかったから、帰かえったほうがいい、と考かんがえたからがった。偶然ぐうぜん、グループのみんなも同おなじ考かんがえだったので、トットちゃんは、(よかった、一人ひとりじゃなくて)と思おもい、帰かえり道みち、みんなは、もう一目散いちもくさんだった。学校がっこうに帰かえると、前まえに行いった組くみも、帰かえって来きていて、みんなも、怖こわいから、ほとんどお墓はかまで行いかなかった、とわかった。そのうち、白しろい布ぬのを頭あたまから、かぶった男おとこの子こが、ワアワア泣なきながら、先生せんせいに連つれられて、門もんから入はいって来きた。その子こは、オバケになって、ずーっと、お墓はかの中なかにしゃがんで、みんなを待まっていたけど、誰だれも来こないし、だんだん、こわくなって、とうとうお墓はかから外そとに出でて、道みちで泣ないてるところを、巡回じゅんかいしてた先生せんせいに見みつけられ、帰かえって来きたのだった。みんなが、その子こを慰なぐさめていると、また泣なきながら、違ちがうオバケと男おとこの子こが帰かえって来きた。オバケの子こは、誰だれかがお墓はかに入はいって来きたので、「オバケ!」と言いおうと思おもって前まえに飛とび出だしたら、走はしって来きたその男おとこの子こと正面しょうめん衝突しょうとつして、二人ふたりとも、びっくりしたのと、痛いたいのとで、オイオイ泣なきながら、一緒いっしょに走はしって来きたのだった。みんな、おかしいのと、怖こわかったのが終おわった安心あんしんとで、ゲラゲラ笑わらった。オバケも、泣なきながら笑わらった。そこに、新聞紙しんぶんしで作つくったオバケをかぶった。トットちゃんと同級生どうきゅうせいの右田みぎた君くんが、「ひどいよ、ずーっと待まってたのにさ」といいながら帰かえって来きて、蚊かに食くわれた、足あしや手てを、ボリボリ掻かいた。それを見みて、「オバケが、蚊かに食くわれてる!」と誰だれかが言いったから、みんな、また笑わらった。五ご年生ねんせいの受うけ持もちの丸山まるやま先生せんせいが、「じゃ、そろそろ残のこってるオバケを連つれて来きましょう」と出でかけて行いった。そして、外灯がいとうの下したでキョロキョロしてたオバケや、こわくって、家いえまで帰かえっちゃったオバケを、全部ぜんぶ、連つれて帰かえって来きた。この夜よるのあと、トモエの生徒せいとはは、オバケを、怖こわくないと思おもった。だって、オバケだって、こわがっているんだ、って、わかったんだからさ。
他们哆哆嗦唆地一步捱一步地走着,好不容易蹭到了能看见哼哈二将的寺院门口。尽管天上有月亮,夜幕下的寺院看上去还是一团漆黑。平时这院子显得很宽敞,而且令人心情舒畅,可今天却大不一样了,一想到不知从什么地方就会跑出鬼来,小豆豆她们吓得早已不知所措了。所以,稍微有点风吹草动,她们就“哎呀”一声大喊起来。脚下一踩上什么软绵绵的东西,马上就嚷:“鬼来啦!”到最后,甚至害怕得连手拉手的伙伴也怀疑成“该不是鬼吧?!”小豆豆决定不到坟地去了。她在心里盘算着,那鬼保准在墓地里等着呢,再加上已经彻底弄清“试胆量是怎么回事”了,所以还是回去为妙。刚好全组同学也都是这么想的,小豆豆暗自庆幸:“太好了,原来不止我一个人呀!”回去的路上,大家早已耐不住了,一溜烟地撒腿跑了起来。
回到学校一看,前面的几组也都回来了,大家这才明白,因为害怕,几乎都没有到坟地去。
过了一会儿,一个头上缠着白布的男孩被一位老师从门外领进来了,嘴里还“哇、哇”地哭着。这个男孩是装鬼的,一直蹲在坟地里等着大家,可是等了好半天也没见一个人影,他自己却渐渐害怕起来,终于从坟地里跑到外边,站在路上哭起来了。正在这时候,被巡回检查的老师发现了,才把他带了回来。正当大家安慰这个男孩的时候,又有一个“鬼”和一个男孩哭着回来了。原来是装鬼的这个男孩看到有人走入坟地,正想跳出去叫一声:“我是鬼!”结果却刚好和跑进来的那个孩子撞了个满怀,两个人都吓了一大跳,再加上撞得很疼,就“呜呜”地哭着一起跑回来了。大家都觉得这事怪有意思的,同时又因为恐惧心理已一扫而光,便哈哈地笑了起来。就在这时,用报纸套在头上装鬼的小豆豆同班的右田同学回来了,口里还在抱怨大家:
“太不象话啦!我还一直在等你们哪!”
说完,便咯吱咯吱地挠起了被蚊子叮得发痒的胳膊和大腿。
看到这情景,不知谁说了一句:
“鬼还怕蚊子咬呢!”
听到这句话,大家哄地笑开了。五年级班主任丸山老师说:
“好了,我干脆把剩下的鬼都带回来吧!”
丸山老师说着就出去了。不一会儿工夫,就把那些“鬼”全都带回来了,他们有的正惴惴不安地在路灯下东张西望,有的由于害怕已经跑回家去了。
打从这天夜里以后,巴学园的学生们再也不怕鬼了。
因为大家这下都知道了:那鬼自己也吓得胆战心惊呢!
トットちゃんは、お行儀ぎょうぎよく歩あるいている。犬いぬのロッキーも、たまにトットちゃんの顔かおを見上みあげながら、やっぱり、お行儀ぎょうぎよく歩あるいている。こんなときは、パパの練習れんしゅう所しょを、のぞきに行いくときに決きまっていた。普段ふだんのトットちゃんは、大だい急行きゅうこうで走はしっているとか、落おとしたものを探さがすためにキョロキョロしながら行おこなったり来きたりとか、よその家いえの庭にわを、次々つぎつぎと、突つっ切きって、垣根かきねから、もぐって出でたり入はいったりしながら進すすんで行いく、という風ふうだった。だから、今日きょうみたいな恰好かっこうで歩あるいているのは珍めずらしく、そういうときは、「練習れんしゅう所しょだナ」って、すぐわかった。練習れんしゅう所しょは、トットちゃんの家いえから、五ご分ふんくらいの所ところにあった。トットちゃんのパパは、オーケストラの、コンサート?マスターだった。コンサート?マスターっていうのは、ヴァイオリンを弾ひくんだけど、トットちゃんが面白おもしろいと思おもったのは、いつか、演奏えんそう会かいに連つれってもらった時とき、みんなが拍手はくしゅしたら、汗あせビッショリの指揮しき者しゃのおじさんが、クルリと客席きゃくせきのほうに振ふり向むくと、指揮しき台だいを降おりて、すぐ隣となりに座すわって弾ひいていたトットちゃんのパパと握手あくしゅしたことだった。そして、パパが立たつと、オーケストラのみんなが、一斉いっせいに立たち上あがった。
小豆豆现在正规规矩矩地往前走去。小狗洛克不时仰起头瞧瞧小豆豆的脸,也乖乖地迈动着四条腿。凡是这种时候,肯定是要去光顾爸爸的排练场了。平时,小豆豆走起路来总是急匆匆地奔跑,或是象找东西似的东张西望地这走走那转转,还有时从别人家的院子横穿过去,从篱笆里钻过来钻过去的。因此,难得有一回象今天这样斯斯文文地走路,遇到这种情况,人们立刻就知道“这是要去排练场啦!”排练场离小豆豆家只有五分钟的路。
小豆豆爸爸是交响乐团的第一小提琴手。所谓第一小提琴手,就是拉小提琴的了。不过使小豆豆感到有趣的是,一次妈妈带她去参加演奏会,当观众鼓掌时,那位汗流浃背的指挥伯伯便一下子朝观众席转过身来,然后立即走下指挥台,和坐在紧跟前拉小提琴的小豆豆的爸爸握手。而且,爸爸一站起身,乐队全体也一齐站了起来。
「どうして、握手あくしゅするの?」小ちいさい声こえでトットちゃんが聞きくと、ママは、「あれは、パパ達たちが一生懸命いっしょうけんめい、演奏えんそうしたから、指揮しき者しゃが、パパに代表だいひょうして、『ありがとう』という意味いみで握手あくしゅをしたのよ」と教おしえてくれた。トットちゃんが練習れんしゅう所しょが好すきなわけは、学校がっこうは子供こどもばっかりなのに、ここは大人おとなばっかり集あつまっていて、しかも、いろんな楽器がっきで音楽おんがくをやるし、指揮しき者しゃのローゼンシュトックさんの日本語にほんごが面白おもしろいからだった。
“为什么要握手呢?”
小豆豆轻声问道。妈妈告诉她说:
“那是因为爸爸他们演奏得很卖力气,乐队指挥是把爸爸作为代表,用握手来向大家表示感谢的。”
小豆豆喜欢到排练场的原因有两个:一是学校里尽是些小朋友,而聚集在这里的全都是大人,并能用各种各样的乐器演奏音乐;再一个就是乐队指挥洛杉舒特库伯伯讲的日本话非常有趣。
ローゼンシュトックは、ヨーゼンシュトックといって、ヨーロッパでは、とても有名ゆうめいな指揮しき者しゃだったんだけど,ヒットラーという人ひとが、こわいことをしようとするので、音楽おんがくを続つづけるために、逃にげて、こんな遠とおい日本にっぽんまで来きたのだ、とパパが説明せつめいしてくれた。パパは、ローゼンシュトックさんを尊敬そんけいしているといった。トットちゃんには、まだ世界せかい情勢じょうせいがわからなかったけど、この頃ころ、すでに、ヒットラーは、ユダヤ人じんの弾圧だんあつを始はじめていたのだった。もし、こういうことだなかったら、ローゼンシュトックは、日本にっぽんに来くるはずもない人ひとだったし、また、山田やまだ耕作こうさくが作つくった、このオーケストラも、こんなに急速きゅうそくに、世界せかい的てき指揮しき者しゃによって、成長せいちょうすることもなかったのかも知しれない。とにかく、ローゼンシュトックは、ヨーロッパの一流いちりゅうオーケストラと同おなじ水準すいじゅんの演奏えんそうを要求ようきゅうした。だから、ローゼンシュトックは、いつも練習れんしゅうの終おわりには、涙なみだを流ながして泣なくのだった。「私わたしが、これだけ一生懸命いっしょうけんめいやってるのに、君達きみたち、オーケストラは、それに、こたえてくれない」すると、ローゼンシュトックが、練習れんしゅうで休やすんだりしたときに、代理だいりで指揮しきをする、チェロのトップの斉藤さいとう秀雄ひでおさんが、一番いちばん、ドイツ語ごが上手じょうずだったので、「みんなは、一生懸命いっしょうけんめいやっているのだけど、技術ぎじゅつが、おいつかないのです。絶対ぜったいに、さざとではないのです」と代表だいひょうして、気持きもちを伝つたえ、慰なぐさめるのだった。
爸爸曾告诉小豆豆,洛杉舒特库伯伯的全名叫约瑟夫·洛杉舒特库,是位欧洲有名的乐队指挥,由于有个叫希特勒的人想干出可怕的事来,为了能够继续从事音乐事业,他才逃到这么遥远的日本来的。爸爸说,他非常尊敬洛杉舒特库伯伯。对于小豆豆来说,她还不可能懂得世界形势,而希特勒这时已经开始镇压犹太人了。如果不发生这种事情的话,也许洛杉舒特库本人根本不会来到日本,而山耕笮创建的这个交响乐团也就不会靠着世界水平的名指挥提高的这样快了。总之,洛杉舒特库是用欧洲第一流乐团的水平来指挥演奏的。所以,每次练习结束时,洛杉舒特库总要痛哭一场,他说:
“我如此拼命的工作,可你们这个乐团却总是效果不佳。”
每当这种时候,乐团的首席大提琴手斋藤秀雄叔叔就代表大家表明心意,用德语安慰他说:
“大家都在拼命努力,不过技术上还是跟不上去。绝对不是有意怠惰。”
こういうときさつは、トットちゃんは知しらなかったけど、時々ときどき、ローゼンシュトックさんが、顔かおを真まっ赤かにして、頭あたまから湯気ゆげが出でるみたいになって、外国がいこく語ごで、どなっているのをみることがあった。そういう時とき、トットちゃんは、ほおづえをついて、いつも、のぞいている自分じぶん用ようの窓まどから頭あたまを引ひっ込こめ、ロッキーと一緒いっしょに地面じめんにしゃがんで息いきを潜ひそめ、また音楽おんがくの始はじまるのを待まつのだった。でも、普段ふだんのローゼンシュトックさんは、やさしく、日本語にほんごは、面白おもしろかった。みんなの演奏えんそうがうまくいくと、「クロヤナキサン!トテモ、イイデス」とか「スバラシイデス!」とかいった。トットちゃんは、一いち度ども練習れんしゅう所しょの中なかに入はいったことはなかった。いつも、そーっと、窓まどからのぞきながら、音楽おんがくを聴きくのが好すきだった。だから休憩きゅうけいになって、みんなが煙草たばこを吸すいに、外そとに出でたとき、「あっ!トット助すけ、来きてたのか?」って、パパが気きがつくことって、よくあた。ローゼンシュトックさんは、トットちゃんを見みつけると、「オハヨーゴザイマス」とか、「コニチワ」といって、もう大おおきくなったのに、少すこし前まえの小ちいさかったときみたいに抱だき上あげて、ほっぺたをくっつけたりした。ちょっと恥はずかしかったけど、トットちゃんは、細ほそい銀ぎんのふちの眼鏡めがねをかけて、鼻はなが高たかく、背せの低ひくいローゼンシュトックさんが好すきだった。芸術家げいじゅつかとすぐわから、立派りっぱな美うつくしい顔かおだった。洗足せんぞく池いけのほうから吹ふいてくる風かぜは、練習れんしゅう所しょの音楽おんがくをのせて、とても遠とおいところまで運はこんでいった。時々ときどき、その中なかに金魚きんぎょ~~~ええ~~~金魚きんぎょ!という金魚きんぎょ屋やさんの声こえが、まざることもあった。とにかく、トットちゃんは、少すこし西洋せいよう館かん風ふうで、かたむいている、この練習れんしゅう所しょが気きに入いっていた。
斋藤秀雄叔叔的德语讲的特别好,在练习中,洛杉舒特库休息时,他还是代理指挥。这些内情小豆豆虽然不晓得,但她常常看到洛杉舒特库伯伯满脸通红,头上冒着热气,正用外国话(其实就是德语)大声地训斥乐团。每逢这种情况,小豆豆就从平时两手托腮向里张望的那个自己专用窗口把头缩回来,和洛克一起蹲到地下,屏住呼吸等待音乐重新开始。
不过,平日里的洛杉舒特库伯伯却很和蔼可亲,日本话也讲得很逗人。当大家演奏得很好时,他就用日本话连声赞扬:
“黑柳先生,非常好!”
“好极了!”
小豆豆一次也没有进入过排练场。她平时总是喜欢那牡趴在窗口向里张望,同时听里面演奏的乐曲。所以常常有这种情况,等到里面休息,大家出来吸烟时,爸爸才发现。
“啊!小豆豆助,你早来了吧?”
洛杉舒特库伯伯一看到小豆豆,马上就向她问候:
“你早!”
尽管小豆豆已经长大了,他却还象对待小娃娃一样,把小豆豆抱起来亲亲脸蛋。小豆豆虽然有点害羞,但还是很喜欢这位戴银丝眼镜、高鼻梁、个头不高的洛杉舒特库伯伯。他那张脸端庄而漂亮,一看就知道是位艺术家。
从洗足池那边吹过来的清风,伴着排练场的乐曲声,向遥远遥远的地方飘拂而去。其中还时不时掺杂着“金鱼咧——金鱼!”这种叫卖金鱼的声音。总而言之,小豆豆打心眼里喜欢这座颇有点西洋建筑风味的排练场。
夏休なつやすみも終おわりに近ちかくなって、いよいよ、トモエの生徒せいとにとっては、メイン?イベントとでもいうべき、温泉おんせん旅行りょこうへの出発しゅっぱつの日ひが来きた。たいがいのことに驚おどろかないママも、夏休なつやすみ前まえの、ある日ひ、トットちゃんが学校がっこうから帰かえってきて、「みんなと、温泉おんせん旅行りょこうに行いってもいい?」と聞きいたときは、びっくりした。お爺じいさんとか、お婆ばあさんが揃そろって温泉おんせんに出でかける、というのなら、わかるけど、小学校しょうがっこうの一年生いちねんせいが……。でも、よくよく校長こうちょう先生せんせいからの手紙てがみを読よんでみると、なるほど面白おもしろそうだ、と、ママは感心かんしんした。静岡しずおかの伊豆半島いずはんとうに土肥どいというところがあり、そこは、海うみの中なかに温泉おんせんが湧わいていて、子供こども達たちが、泳およいだり、温泉おんせんに入はいったり出来できる、という、「臨海りんかい学校がっこう」のお知しらせだった。二に泊はく三日みっか。トモエの生徒せいとのお父とうさんの別荘べっそうが、そこにあり、一いち年ねんから六ろく年ねんまでの全校ぜんこう生徒せいと、約やく五十ごじゅう人にんが泊とまれる、ということだった。ママは、勿論もちろん、賛成さんせいした。そんなわけで、今日きょう、トモエの生徒せいとは、温泉おんせん旅行りょこうに出でかける支度したくをして、学校がっこうに集あつまったのだった。校庭こうていにみんなが来くると、校長こうちょう先生せんせいは、いった。「いいかい?汽車きしゃにも船ふねにも乗のるよ。迷子まいごにだけは、なるなよな。じゃ、出発しゅっぱつだ!」
暑假就要结束了,对巴学园的学生们来说,被称为“主要比赛项目”的温泉旅行的出发日子终于来到了。暑假前,有一天,小豆豆放学回来向妈妈问道:
“我可以和大家一块去温泉旅行吗?”
对一般事从不吃惊的妈妈,听到小豆豆这句问话竟然大吃了一惊。如果是老爷爷老奶奶凑在一起到温泉去的话,这还可以理解,可小学一年级的学生……不过,仔仔细细地读了校长先生的来信以后,妈妈便想通了,觉得这的确是件有意义的事。校长在信里说,静冈县的伊豆半岛有个叫土肥的地方,那儿的海水里涌出温泉水,孩子们又能游泳又能洗温泉,可算做是一所“临海学校”。总共呆三天两宿。巴学园一个学生的爸爸在那里有栋别墅,全校从一年级到六年级的约五十名学生都能住得下。照这种情况,妈妈当然举双手赞成了。
就这样,巴学园的学生们做好了去温泉旅行的准备,今天都到学校集合了。大家来到校园以后,校长说:
“怎么样?都准备好了吗?这次可是又坐火车又坐船呀!大家千万注意不要走丢啦!好,出发!”
校長こうちょう先生せんせいの注意ちゅういは、これだけだった。でも、自由じゆうが丘おかの駅えきから東横線とうよこせんに乗のり込こんだみんなは、びっくりするほど、静しずかで、走はしり回まわる子こもいなかったし、話はなすときは、隣となりにいる子こだけど、おとなしく話はなした。トモエの生徒せいとは一回いっかいも、「一いち列れつにお行儀ぎょうぎよく並ならんで歩あるくこと!」とか、「電車でんしゃの中なかは静しずかに!」とか、「食たべ物ものの、かすを捨すててはいけません」とか、学校がっこうで教おそわったことはなかった。ただ、自分じぶんより小ちいさい人ひとや弱よわい人ひとを押おしのけることや、乱暴らんぼうをするのは、恥はずかしいことだ、ということや、散ちらかっているところを見みたら、自分じぶんで勝手かってに掃除そうじをする、とか、人ひとの迷惑めいわくになることは、なるべくしないように、というようなことが、毎日まいにちの生活せいかつの中なかで、いつの間まにか、体からだの中なかに入はいっていた。それにしても、たった数すうヶ月かげつ前まえ、授業じゅぎょう中ちゅうに窓まどからチンドン屋やさんと話はなして、みんなに迷惑めいわくをかけていたトットちゃんが、トモエに来きたその日ひから、ちゃんと、自分じぶんの机つくえに座すわって勉強べんきょうするようになったことも、考かんがえてみれば不思議ふしぎなことだった。ともかく、今いま、トットちゃんは、前まえの学校がっこうの先生せんせいが見みたら、「人違ひとちがいですわ」というくらい、ちゃんと、みんなと一緒いっしょに腰掛こしかけて、旅行りょこうをしていた。
校长提醒大家的就是这几句话。但大家从自由冈车站乘上东京到横滨的列车以后,却安静得出奇。一个到处乱跑的小朋友也没有,即使和身旁的同学讲话,也都是老老实实的。巴学园的学生们从来没有人教过他们什么“走路时要整整齐齐地排成一行”,什么“在电车里要肃静”,或者什么“吃剩下的食物不要随便乱扔”啦,等等。一些良好的品德和作风,比如:见到比自己小或者体弱的人就推推撞撞,甚至欺负人家,这是可耻的;看到不整洁的地方就要自觉地随手打扫干净,尽量不要给别人添麻烦等等,都是在日常生活中不知不觉地渗入到孩子们的心灵中去的。尽管如此,有的事细想起来还是不可思议的,就拿小豆豆来说吧,几个月前还因上课时和化装广告宣传员讲话而给大家添了不少麻烦,可自从来到巴学园的那天起,她也能规规矩矩地坐在自己的座位上学习了。总之一句话,现在的小豆豆正规规矩矩地和大家坐在一起去旅行,如果让以前那所学校的老师看到了,她肯定会说:“小豆豆变啦!”
沼津ぬまづからは、みんなの夢ゆめの、船ふねだった。そんなに大おおきい船ふねじゃなかったけど、みんな興奮こうふんして、あっちをのぞいたり、さわったり、ぶら下さがってみたりした。そして、いよいよ船ふねが港みなとを出でるときは、町まちの人ひとたちにも、手てを振ふったりした。ところが、途中とちゅうから雨あめになり、みんな甲板かんぱんから船室せんしつに入はいらなければならなくなり、おまけに、ひどく揺ゆれてきた。そのうち、トットちゃんは、気持きもちが悪わるくなってきた。他ほかにも、そういう子こがいた。そんな時とき、上級生じょうきゅうせいの男おとこの子こが、揺ゆれる船ふねの真まん中なかに重心じゅうしんをとる形かたちで立たって、揺ゆれてくると、「オットットットット!」といって、左ひだりに飛とんでったり、右みぎに飛とんでったりした。それを見みたら、おかしくて、みんな気持きもちが悪わるくて半分はんぶん、泣なきそうだったけど、笑わらっちゃって、笑わらっているうちに土肥どいに着ついた。そして、可哀かわいそうだけど、おかしかった事情じじょうは、船ふねから降おりて、みんなが元気げんきになった頃ころ、「オットットットット!」の子こだけが、気持きもち悪わるくなったことだった。土肥どい温泉おんせんは、静しずかなところで、海うみと林はやしと、海うみに面めんした小高こだかい丘おかなどがある美うつくしい村むらだった。一休ひとやすみしたあと、先生せんせい達たちに連つれられて、みんな、海うみに出でかけた。学校がっこうのプールと違ちがうから、海うみに入はいるときは、みんな海水かいすい着ぎを着きた。
从沼律换乘上大家做梦都想坐的轮船。虽然这船不是很大,但同学们还是异常兴奋,这里瞧瞧,那里摸摸,有的还跳起来抓住什么东西荡个秋千。而且当船就要离开码头时,大家还向镇上的人挥起了小手。然而,船行至途中下起雨来了,大家不得不从甲板上钻进船舱,而且船也颠簸得更厉害了。这时小豆豆觉得心里有些难受。别的小朋友也有这种感觉。正当这个时候,有个高年级的男孩站到了颠簸不止的船中央,保持好重心,船一摇晃,他就“欧嘿,欧嘿”地喊着会儿跳到左边,一会儿又蹦到右边。尽管大家心里都很难受,甚至想哭出声来,但看到那男孩的表演以后,都觉得怪逗人的,于是便大笑起来,就这样在笑声中船开到了土肥。而令人可怜和遗憾的是,当同学们下了船,又精神抖擞起来时,那位在船上“欧嘿,欧嘿”的男孩子却头晕起来了。
土肥温泉是个幽静而美丽的村庄,这里有海水和树林,还有一个面向大海的小山包。休息一会儿之后,老师们带领大家来到了海边,和学校的游泳池不同,入海的时候大家都穿上了游泳衣。
海うみの中なかの温泉おんせん、というのは、変かわっていた。何なにしろ、どこからどこまでが温泉おんせんで、どこからが海うみ、という、線せんとか囲かこいがあるわけじゃないから、「ここが温泉おんせんですよ」といわれたところを憶おぼえて,しゃがむと,ちょうど首くびのとこるまでお湯ゆが来きて、本当ほんとうに、お風呂ふろと同おなじに暖あたたかくて気持きもちがよかった。そして、お風呂ふろから海うみに行いこうと思おもうときは、横よこばいになって五ごメートルくらい歩あるくと、段々だんだんぬるくなってきて、それからもっといくと、つめたくなるから、「そこからは海うみだ!」とわかるのだった。だから、みんな海うみで泳およいで寒さむくなると、大急おおいそぎで、暖あたたかい温泉おんせんにもどって、首くびまで使つかった。そうすると、なんだか、家いえに帰かえったみたいな気きがした。おかしなことは、海うみの部分ぶぶんに行いけば、海水かいすい帽ぼうをぴっちりかぶって泳およぐ子供こども達たちが、見みたところは海うみと同おなじなのに、温泉おんせんに入はいっているときは、輪わになって気楽きらくな恰好かっこうで、話はなしをしていることだった。きっと、はたから誰だれかが見みたら、結局けっきょく、小学生しょうがくせいでも温泉おんせんに入はいると、お爺じいさんやお婆ばあさんと同おなじ、と思おもったかも知しれなかった。その頃ころの海うみは、ほとんど、よその人ひとがいなくて、海岸かいがんも温泉おんせんも、トモエの生徒せいとの専用せんようみたいだった。みんな、精一杯せいいっぱい,この珍めずらしい、温泉おんせん海水浴かいすいよくを楽たのしんだ。だから、夕方ゆうがた、別荘べっそうに帰かえったときは、どの子こも、あんまり永ながく水みずにつかっていたので、指先ゆびさきの皮かわがシワシワになっていたほどだった。
海里的温泉别有风味,哪是温泉,哪是海水,根本没有线或围起来的标志,所以当别人告诉说:
“这儿是温泉呀!”
当时就要把那地方记住,然后蹲下身去,温泉的热水刚好没到脖子下,简直就和在浴室里洗澡一样,又暖和又舒服。而且,如果想从这“浴池”到海水里去时,只消往外爬五米左右,水就渐渐变凉,然后再往外去,就是彻底的凉水了,因此就可以断定:“这里是海水啦!”所以,当大家在海水里游冷了时,就赶紧退回到暖和的温泉水里去,只露出来一个小脑袋。泡在暖融融的温泉水里,就觉得好象回到了自己的家似的。奇怪的是,如果到海水里去游泳,孩子们就要紧紧地戴上游泳帽,而一旦进入温泉水里,尽管看上去和海水毫无差别,他们却围成一圈,以轻松的姿势在一起说个没完。如果局外人看到了,纵使是小学生在洗温泉,说不定也会把孩子们当成老爷爷老奶奶的。
这会儿的海水里几乎没有外人,好象海岸和温泉都成了巴学园学生们的专用场地。在这次稀奇的温泉海水浴里,大家尽情地玩了个痛快。所以,当傍晚返回别墅时,由于在水里泡的时间太长了,每个孩子手指头的皮都皱起来了。
夜よるは夜よるで、おふとんに入はいってから、交代こうたいに“おばけ”の話はなししをした。トットちゃん達たち一いち年生ねんせいは、みんな、怖こわくて泣ないた。そして、泣なきながら、「それから?」というのだった。この土肥どい温泉おんせんの三日みっか間かんは、これまでの、学校がっこうの中なかでの野宿のじゅくとか、胆たん試ためしと違ちがって、実際じっさいの生活せいかつだった。例たとえば、晩ばん御飯ごはんの材料ざいりょうを買かいに、順番じゅんばんで、八百屋やおやさんや魚屋さかなやさんに行いかされたし、知しらない大人おとなのひとたちから、「どこの学校がっこうの生徒せいと?」とか「どこから来きたの?」と聞きかれたとき、ちゃんと答こたえなきゃ、ならなかった。それから、林はやしの中なかで迷子まいごになりそうになった子こもいたし、遠とおくまで泳およいでしまって、帰かえってこられなくなり、みんなを心配しんぱいさせた子こもいた。浜辺はまべに落おちて板いたガラスで足あしを切きった子こもいた。そのたびに、みんなは、どうしたら、一番いちばん自分じぶんが役やくに立たつか、考かんがえた。でも、楽たのしいことも多おおかった。大おおきな林はやしがあって、セミはいっぱい、いたし、アイスキャンデー屋やさんもいた。それから、海岸かいがんで、一人ひとりで大おおきい木きの船ふねを作つくっている、おじさんとも遭あった。かなり船せんの形かたちが出来上できあがっていたから、朝あさ起おきると、みんな、どれくらい昨日きのうより、出来できているか、走はしって、見みに行いった。トットちゃんは、薄うすく長ながく出来できた、カンナクズを、おじさんから、おみやげに、もらった。お別わかれの日ひ、校長こうちょう先生せんせいがいった。「どうだい。記念きねん写真しゃしんを撮とろうじゃないか」
夜里又有夜里的乐趣,钻进被窝以后,大家又轮流讲起了鬼的故事。小豆豆和她那些一年级的小同学们被吓得直哭。但还是边哭边问:
“后来呢?后来怎么样了?”
在土肥温泉的这三天里,和以往在学校时的野营或试胆量都不一样,过的是实实在在的生活。比如:同学们都被轮班派到蔬菜店或鱼店去买做晚饭的菜。若是碰到素不相识的大人问:“你们是哪个学校的学生呀?”或是问:“从哪里来的呀?”这时,就必须有礼貌地给予回答。此外,还有的孩子在树林里迷了路,也有的孩子游泳游得很远,一时没能回来,让大家替他担心的。还有的孩子被掉在海滩上的玻璃划破了脚。每当出现这种情况时,大家首先考虑的都是自己怎样才能发挥最大作用。
当然,令人高兴的事也多得很。在一片大树林里,到处都是知了,还有一个冰棒店。在海边还碰到了一位正在独自造一条大木船的叔叔。那条船已经基本上成形了,所以早晨一起床,孩子们就都跑去看那条船是否比昨天造得更好了。小豆豆还向那位叔叔要了一条又薄又长的刨花作礼物。
离开温泉的那天,校长对大家说:
“怎么样?拍一张纪念照好不好呀?”
それまで、みんな一緒いっしょに写真しゃしんって、撮とったことがなかったから、また、みんなは興奮こうふんした。だから、「はい、撮とりますよ」って女おんなの先生せんせいが言いうとき、誰だれかがトイレに行いってたり、「さあ、いいですね」というと、運動うんどう靴くつの右みぎと左ひだりが逆さかだったから、はき直なおす,という子こがいたり、その間かん中ちゅう、ずーっと緊張きんちょうしてポーズを取とっていて、本当ほんとうに、「じゃ、いきます!」というときに、「ああ、疲つかれた。もうダメだ!」といって、ねっころがる子こもいて、とっても時間じかんがかかった。でも、海うみを後うしろにして、思おもい思おもいのポーズをして撮とった写真しゃしんは、子供こども達たちも宝物たからもつになった。その写真しゃしんを見みれば、船ふねのことも、温泉おんせんのことも、オバケの話はなしのことも、「オットットットット!」の子この事ことも,一いち度どに思おもい出だせるからだった。こうして、トットちゃんの初はじめての夏休なつやすみは、絶対ぜったいに忘わすれることの出来できない、いろんな楽たのしい思おもい出でを残のこして過すぎていった。まだ東京とうきょうでも、近ちかくに池いけには、ザリガニがたくさんいて、大おおきい牛うしが、ゴミ屋やさんの車くるまを引ひっ張ぱって歩あるいている頃ころの、ことだった。夏休なつやすみも終おわり、二に学期がっきが始はじまった。夏休なつやすみの間あいだ、いろんな集あつまりのたびに、トットちゃんは、クラスのみんなとは勿論もちろん、上級生じょうきゅうせいの一人ひとり一人ひとりとも親したしくなった。そして、トモエ学園がくえんのことが、もっともっと好すきになっていた。
全校同学还从来没在一起拍过照,所以大家又兴奋地跳了起来。这时有位女老师说:
“好,我来拍吧!”
女老师刚说完,就有人要去厕所,她只好说:
“好,快去吧!”
还有的孩子把球鞋穿错脚了,要重新穿好。在这段时间里,有个孩子一直紧张地摆好姿势等候拍照。当正式开始拍照时,那位女老师说:
“注意,拍了!”
刚拍完,那孩子就叫了起来:
“哎呀,不行啦!累死啦!”
说完,就躺到地上了。总之,拍这张照片花了好长时间。
不过,这张以大海为背景,以孩子们各自喜欢的姿式拍来的照片,简直成了孩子们的宝贝。因为一看到这张照片,就能一下子想起轮船、温泉、鬼的故事,以及那位吆唤“欧嘿,欧嘿“的男孩子。
就这样,小豆豆的第一个暑假在各种有趣的记忆中过去了,而这些记忆是她永远也不会忘怀的。
小豆豆度过的这第一个暑假的当时,附近的水池里还有许许多多的喇蛄,就连东京的垃圾车也还是由一头大牛拉着到处转呢!暑假已经过去,第二个学期开始了。通过暑假期间组织的各种集体活动,小豆豆不仅和本班同学,而且和上年级的每个同学也都熟悉起来了。并且对巴学园也更加喜爱了。
トモエは、普通ふつうの小学校しょうがっこうと授業じゅぎょう方法ほうほうが変かわっている他ほかに、音楽おんがくの時間じかんが、とても多おおかった。音楽おんがくの勉強べんきょうにも、いろいろあったけど、中なかでも「リトミック」の時間じかんは、毎日まいにちあった。リトミックというのは、ダルクローズという人ひとが考かんがえた、特別とくべつのリズム教育きょういくで、この研究けんきゅうが発表はっぴょうされると、年ねん(明治めいじ三十八さんじゅうはち年ねん)頃ころのとこなんだけど、全ぜんヨーロッパ、アメリカなどが、いち早はやく注目ちゅうもくして、各国かっこくに、その養成ようせい所しょとか、研究所けんきゅうじょとか、できたくらいだった。で、どうして、このトモエにダルクローズ先生せんせいのリトミックが入はいって来きたのか、といえば、こういう、いきさつだった。
巴学园除了在教学方法上和一般的小学不同之外,上音乐课的时间也特别多。音乐课的学习内容有多种多样,其中只有旋律课每天都上。所谓旋律课,本是一位名叫达尔库罗兹的澳大利亚音乐教育家首创的一种特殊的旋律教育法。这项研究成果一发表,虽说当时还是二十世纪初一九零五年,却很快受到了整个欧洲和美国等国的重视,各国甚至成立了训练所或研究所。达尔库罗兹先生的旋律学是怎么传到这所巴学园来的呢?其过程是这样的:
欲知后事如何,请听下回分解
校对:張欣
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